昭和47年、「魚一」にて創作した「お加代弁当」当時の資料を基に≪復刻版「お加代弁当」≫を再現・復刻

玄丹お加代とは松江藩に尽くし、危機を救った女性。お加代がいなければ国宝・松江城は現存していなかったかもしれない…

玄丹お加代(本名:錦織加代)
お加代は、天保13年(1842年)元松江藩士で鍼医錦織玄丹の娘、
錦織加代として生まれる。
大政奉還の翌年、慶応4年(1868年)、
維新政府の山陰道鎮撫使・西園寺公望の一行が
松江藩問責のため松江に入城した際、酌婦の一人となった。
酒宴の席で副使・川路利恭が刀に刺したかまぼこを平然と口で受けるなど、
一行の無理難題と乱暴狼藉を侠気と機転により懐柔したと伝えられる。

女の身で松江藩に尽くし、危機を救ったお加代。

そんなきっぷのいい狭女と謳われた玄丹お加代の生き様に惚れ込んだ「魚一」の二代目吉村ヨシノは、研究・顕彰活動を重ね、昭和47年、市民に募金を呼び掛け、松江白潟公園に顕彰碑を建立。
併せて、魚一にて「お加代弁当」を創作した。

そして幾年たった現在、魚一の姉妹店である当社蓬莱吉日庵にて、当時の資料を基に≪復刻版「お加代弁当」≫を再現・復刻。
粋でいなせな玄丹お加代の酌は無いけれど、松江郷土の味が詰まったお弁当をごゆるりとご堪能あれ。

吉村ヨシノによる掛軸の解説
侠女錦織加代(玄丹加代ともいふ) 明治二十六年、宍道湖が豪雪で凍結した時、お加代は五十七才位。「お加代さん、いくら元気が良くても湖は渡られまい」と言ったら、「いえ渡ります」と流行りの人力車に乗り青柳楼の大燈籠(お加代燈籠)の所から出て嫁ヶ島に渡り、無事に天神裏まで帰ってきたのが評判となった。

■松江のお加代スポット

■松江のお加代スポット

復刻版「お加代弁当」

「お加代弁当」

松江城天守が国宝に認定され、松江城・松江に注目が集まる昨今、このお弁当が観光客のみならず地元の方々にも郷土松江(藩)の危機を救った歴史人物お加代の存在を知って頂くきかっけとなり、「松江城」のエピソードのひとつとして語り継がれれば幸いに存じます。

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